



本社移転にあたって、前社長は思い切った経営体質の改善を行うと宣言した。戦後の経済復興から高度成長へと進んできた成長路線は、
オイルショックによって幕を閉じ、高度経済成長時代の会社組織、業務管理では間に合わなくなっていたのであった。
過去の業績に満足し、気を許すようなことがあれば、中央大手業者の進出による激しい受注競争から、たちまちのうちに脱落するという
低成長経済の時代に突入していたのであった。このような厳しい時代認識のもと前社長が求改善計画の骨子は10項目からなっていた。
1)工期厳守の徹底化を図る。
2)責任管理体制を確立する。
3)安全衛生教育の徹底に努める。
4)新技術の研究、導入を進める。
5)技術職員の管理意識を改革する。
6)組織の整備、拡充を図る。
7)協調の精神を促進する。
8)諸事務の近代化を急ぐ。
9)協力会社の健全な発展を図る。
10)福利厚生を充実させる。
こうした前社長の方針が発表されて以来、改善計画は活発化し、さまざまな討議を経て、改善計画は実施に移されていった。 しかし、この社長方針は短期的なものではなく、当社を見直す為の指針となり、その後も改善は進められていった。その主だったものにふれてみよう。
将来の中堅技術者を養成する目的として、教育研修が実施されるようになった。
初期のプログラムは、仕様書等の読み方、作業工程の組み方、実行予算の管理方法、丁張、測量、コンクリート打設法、重機の操作や合図方法、
工事写真の撮影方法などであり、53年からは自衛隊体験入隊、一般職員の研修も始められ内容も一段と充実していった。
総務部では、就業規則等諸規定の整備、明文化を行うとともに、建設業経理事務士、情報管理士等、各種資格制度に沿った有資格者の確保に努め、 人材の育成を図った。また、事務機器のOA(オフィスオートメーション)化を推進、財務、経理、労務など事務処理の迅速化を確立、情報化社会に対応すべく資料、情報の収集にも努めた。
福利厚生事業としては、社会保険を始め、企業年金、県民共済等、各種保険への加入を実現させるとともに、 昭和55年には、従業員の住宅環境改善計画の一環として、雇用促進事業団の融資を受け、川口市東領家にRC造り3階建て486m²の社員寮を完成させた。
営業部では、埼玉県東部地区に基礎を築くことが懸案となっていた。どこに立地するか、さまざまな土地が調査、検討され、その結果、昭和59年2月越谷市内に越谷営業所が開設された。 引き続き61年10月には、小鹿野営業所の機能を拡充、秩父支店に昇格させ業務の拡大が図られた。
また、公共工事予算のゼロシーリングが続く現状のなかで、受注量の保持、拡大を図るため下水道管理や民間事業への進出が検討されており、鋭意、研究が進められている。
昭和51年、工事部資材課は重機部門を吸収、資材部として分離独立しているが、独立を機に資材の購入方法を改めている。 従来、県内同一業者間での情報交換によって調整していた市場価格を、資材部独自で情報を収集、実行予算に見合った価格での資材入手を可能とさせた。 社内的には当社所有の建設機械や各種車輛に社内貸付価格を設定、実行予算に反映させ、現場責任者の意識改革が図られた。
受注量の増大、現場責任者の増加にともない、責任所在の不明確化、事務処理の遅滞化などの兆候が顕れていた工事部では、 受注から精算までの工事の流れを体系化し、近代的システム作りに着手、これによって、さまざまな改善が行われていったのである。 近代的システムとは、要約すれば、着工会議、実行予算会議、週間工程会議、精算会議の発足ということになる。各々の機能は次のようなものであった。
着工会議は、工事用用地、工法、段取りなどを確定し、そこから浮び上る問題点を抽出、その打開策を見いだすことを主眼として設けられた。
実行予算会議では、コンピュータや精算資料を駆使し算出された予算を検討、最終的な収益目標を設定、その遂行を監督する機関である。
週間工程会議は、各工事現場の進捗状態を比較検討、人員の配分計画、重機の配置、協力会社との連係、等を弾力的、且つ効率的に修正、総ての工事を工期内に完成させるために設けられた調整機関であった。
精算会議は、工事を反省するとともに、資料の整理保存、同種工事の再受注に備え問題点を解決しておくことを目的として、設置されたのである
組織面では、1部制が見直され3部制に再編されたことも大きな改革といえよう。再編となった各部には工事現場を指導する次長職も同時に新設されている。
また、事務処理の遅れを防ぐため、工事部庶務課が新設されている。資材購入の手配、重機リースの手配、労務管理、実行予算の管理等を担当するための措置であった。
こうした改善によって、諸業務が軽減された現場責任者は、本来の現場管理に専念できるようになり、責任の所在は明確になったのである。
昭和56年には、新工法の開発、新技術の導入促進、さらに広報活動の充実を目的として開発部が新設されているが、同年、
技術部の協力を得て、推進工法の導入を実現させている。下水道工事といえば開削工法が中心であり、交通渋滞、振動、
粉塵、騒音などの発生源として、周辺住民やドライバーの非難の的になっていた。推進工法は入口(発進抗)と出口(到達抗)の作業現場以外には開口部がない、
いわばモグラ工法といえるもので、これ等の苦情に対応できる工法であった。当社では56年の小口径推進機購入以来、
数多くの上下水道工事を受注、埼玉県内ではパイオニア的存在であると自負している。
また、河川のヘドロ固化、立坑沈設工法、大口径推進工法等の新技術導入を足早に実現させている。
広報の分野では、島田技報、島田ニュースを発行、さらに、ビデオカメラを駆使して、工事の記録映画や研修用映画などを製作、ビジュアル的な開発も行っている。
安全管理課は、工事部から分離独立、部に昇格している。ともすれば工事中心主義に落ち入りやすい建設業の危険性を断ち、安全意識の向上をめざすための処置であった。
具体的には、巡回パトロールを強化するとともに、協力会社と合同で月1回、総ての現場の点検を定例化するとともに、工事の出来形管理対策として、工事竣工引き渡し以前の、厳重な社内検査を実施したのである。
また、当社では重機を含め多くの車輛を所有しており、車輛の整備、安全運転の啓蒙は欠くことのできない課題であった。その対策として、毎月、全社員参加による車輛点検を実施している。
さらに、交通安全や労働災害防止の意識向上を図るため所轄の武南警察署や川口労働基準監督署から講師を招き、春秋2回の安全大会を開催、定例化させている。
こうした安全対策が認められ、当社は52年には労働大臣より「産業安全水準の向上に尽した功績」により表彰を受け、59年には社長が警察庁長官より「交通安全の功」によって、交通安全栄誉章緑十字金章を授与されている。
また、社長が「技術者は資格をとれ」と常々提唱していることを受け、安全管理部では、社内での研修会を行うとともに、各種講習会、研修会受講への便宜を図り、技術職員の資格獲得に積極的に取り組んだ。
昭和56年11月3日、前社長は内閣総理大臣より勲五等瑞宝章を授与されている。建設業界への功労が認められたのである。
明治35年、秩父市において清重郎、毎次郎、午八の3兄弟によって産声をあげてから、昭和62年をもって島田建設工業株式会社は、
85年目を迎えた。企業が85年も続くことば並大抵のことではない。それは、社会への貢献が認められた、努力の結晶ともいえる。
しかし、歴史の古さを誇るだけであれば、次の世紀への飛躍は望めない。100余年という年輪を誇ることなく、絶えず現状を見つめ、効率化という肥料をほどこさなければ、老樹はやがて倒れてゆくであろう。
島田建設工業株式会社は、2002年に創立100周年を迎えた。しかし、現状に満足することなく、我々は新たな時代に向けて地域の皆様から愛され続ける会社を目指し躍進し続けている。